今回のFancy Storyは、当店ブログUKI Dialyにおきまして2008年2月にアップしておりますものを修正、加筆したものです。 ・・・・・ ひさかたの 天の香具山 このゆふべ 春ですね、 本格的な春の訪れを告げるかのような雨音、 古代中国で考案された季節の表現に“二十四節気、七十二候”がありますね、1年を15日ごと24に区切って移り変わる四季を表したものが二十四節気、それをさらに5日ごとに細かく分けたのが“七十二候”です。この七十二候の方は何度も日本の風土に合わせて改定されまして、現在のものは江戸時代に幕府の暦学者によって定められたものであるとか。 この“二十四節気・七十二候”は「立春」から始まり、その後に「草木萌動(そうもくきざしうごく)」、「啓蟄」、「菜虫化蝶(なむしちょうとけす)」などを経まして「春分」に至ります。 世の中に 絶えて桜の なかりせば ― この世に桜というものがなかったら、春を落ち着いてのどかに過ごせるのに・・・ ― このような季節の感じ方は極めてカラーダイヤ的ですね、 カラーダイヤの色の中に季節を見る、というようなことをウッキーは常々申しておりますけども、これはちょっとした二十四節気、七十二候のようなもので、少し気にするだけで随分とカラーダイヤの楽しみ方の範囲も広がるのではないかと思っております。 季節を見る・・ そして、今、ピンクダイヤの季節になったように思います。 季節とダイヤモンド、 さて、二十四節気七十二候とカラーダイヤモンド、と来ますと、やはり女性に何か綺麗なものを着けてもらいたくなりますね。
しかし、あとに続く『今度生まれたら』(北原白秋作詞)では、歌詞が当局より猥褻扱いされ、日本における発禁レコード第1号ともなってしまったそうで。 |
江戸時代からの受賞者はこの人、 数奇な運命に弄ばれながらも、女の意地を貫いたお方、 和宮。 仁孝天皇の皇女として生まれ、孝明天皇を兄に持つ和宮、 内憂外患、尊王攘夷と倒幕運動、この難局を打開するためには「公武合体」しかないと考えた幕府は十四代将軍家茂の正妻として和宮の降嫁を画策します。しかし、年内に有栖川宮家へ嫁ぐことが決まっていた和宮、しかも相手は江戸にいると聞かされて激しく拒否。そりゃそうでありましょう、許婚者の有栖川親王は後に徳川追討の官軍総司令官となったような颯爽としたお方、婚約期間中の甘い気分を吹き飛ばす大型台風のような幕府の横暴、しかも降嫁する江戸は‘のぞみ’で2時間の距離じゃない、ああ〜 孝明帝も妹を思いやり、この婚儀には反対の旨を幕府に伝えたのありました。 落 ち て 行 く 身 を 知 り な が ら 紅 葉 ば の 有栖川熾仁親王との別れに際し詠んだ歌とのこと。 文久2年(1862年) 2月11日、江戸城内で将軍家茂と和宮の祝言が盛大に執り行われました。 ときに家茂、和宮共に16歳。 勝海舟が語った『海舟余話』には次のような記述があります。 現代語訳が要りそうな口語文ですけども、和宮の気持ちがよく伝わってきますね。 海舟が証言するように、家茂&和宮はホントほのぼのとする微笑ましいカップル、しかしながら二人の幸せはたったの4年で終わってしまうのでした。家茂が長州征伐に自ら出陣の途中、大坂城で病死・・・享年21。 若くして未亡人になってしまった和宮、 |
続きまして〜戦国時代からは、 出雲阿国でございます。 戦国時代は戦争ばっかりと思うかもしれませんが、そんなことはございませんね。ウッキーのようなアホな男どもが一番憧れる時代であるだけに、賑やかで活気のある時代であるとともに、多くの技術革新がもたらされた時代でもあります。 出雲阿国はそのような戦国末期に生まれ、この時代の躍動感をVividに斬新な感覚で表現した偉大なエンターテイナーと言えます。出雲大社のベッピン巫女さんであった彼女がどのように華麗な転身を成功させたのかイマイチ定かではございませんが、能・狂言の伝統をふまえて彼女が始めた“かぶき踊り”は京の都びとたちに大受け大評判となり、後にこの形が江戸時代の歌舞伎へと発展するのですね。 |
阿国「かぶき」は後の歌舞伎とは違い、お囃子・三味線などの伴奏はなく、ただ笛・太鼓に合わせて阿国が踊るだけのもの。しかし、彼女のオリジナリティーは、単に踊りを披露したのではなく、この画像の通り『武家』の扮装、つまり女の阿国が男装をして、茶屋の女と戯れる様子を「演じ」て見せたというところにあるのです。これが、当時の都びとから「傾く」(かぶく=常識離れしている、突拍子もない)女として大好評を得、「かぶく・かぶき」と固有名詞を貰うようになったというわけです。 するってぇと・・・これは歌舞伎のオリジナルというよりも、一足飛びに宝塚の世界ですね。スタイル抜群、男装長身のトップスターが剣を下げて歌い踊る、まさにあの宝塚歌劇が戦国末期に存在していたというわけです。 そして皆さん、お気づきになられましたでしょうか? |
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時代をどんどん遡り、 平安時代からはこの人、 菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。 更級日記の作者です。 しかしまあ、彼女は菅原孝標の次女でして長女もいるのに区別できる名前もないのかと怒り感じる女性も多いかと思いますが、これが平安時代の奥ゆかしいところ。女性のファーストネームを気軽に呼べるのは両親と夫だけだったのですね。 さて彼女、学問の神様である菅原道真をご先祖様に持ち、母方の伯母に蜻蛉日記の作者である藤原道綱母がいるということですから、感性と文才はやはり天賦のものでしょうね。 更級日記は、父・孝標の国府としての任地である東国・上総(現在の千葉県)で生まれ育った筆者が13歳の時(寛仁4年、1020年)、一族郎党とともに帰京するところからの起筆。しかし、本格的な執筆は晩年のことのようですね。夫を亡くし、子供たちが巣立った後の孤独な中で自身の人生を眺め返したものであり、そういう意味から日記というよりも回想録と呼ばれる作品。 しかし、源氏物語に相当はまりこんでいたという彼女の文章は、硬い回想録というよりも平明な優しい文体であり、枕草子を思い起こさせるようなエッセイ風ありで、物語世界への憧憬に過ごした少女時代の彼女の夢の中に我々をも誘われるかのようです。 本文を少し現代語訳でお楽しみください。 帰京する折に見た富士山。 そして憧れの源氏物語と接する日々の描写、 平成のティーンたちと何ら変わることのない1,000年前の少女の心模様、何と瑞々しい筆の運びでありましょうか、“后の位も何にかはせむ(皇后の位も比べ物にならない)”というのは凄い表現だと思います。 |
平安時代からもうひとかた、しかし実在にあらず、源氏物語の登場人物よりの選出です、 源典侍(げんのないしのすけ)。 この方、典侍さん、お歳は50代も後半、しかしね、 しかしまあ、典侍さんの計算づくの‘したたかさ’は凄〜い、色艶ある視線を送りながらも『盛りを過ぎた・・・』と言ったりする。俵万智は“彼女はこの時代の『文明の高さ』を証明してくれているようだ”と述べておりますが、逆に、うす汚い二十歳前後の女が多い現代日本は“文明の低さ”を見せつけておりますね。 というところで典侍さんには副賞としまして、 |
そして最後、古代からは、 持統天皇が選ばれました。 春過ぎて 夏来にけらし 白たえの どなたもご存知の有名な一首です。 ところで、持統天皇はどうして宮中から遠くの香具山の白が気になったのか? しかし、1,000年経ても皆に愛される素晴らしい歌を詠んだ人並みはずれて感性の鋭いお方、もし現代にいらっしゃったらカラーダイヤの美しさにはとことんお嵌りになったに違いないですね。そういう彼女は、淡い色が似合いそうです。 |
如何でございましたでしょうか、 Fancyというのは、感じるからFancyなのでして、 感じなかったらただの色、単なる鉱物、 カラーダイヤと見えるか、それとも色付きの鉱物と思うか、 それは100%あなた次第ですね。 春を迎え綺麗に見えるのは女性とカラーダイヤ、 常にその視点をお忘れなく! |
◆ Back Number ◆ | |
第20話 | UKIカラーで綴った枕草子 |
第19話 | 古今和歌集ダイヤモンド語訳 |
第18話 | 2006W杯 × Fancy Color |
第17話 | That's Baseball |
第16話 | トリノの余韻 |
第15話 | “The Aurora butterfly of Pease” |
第14話 | Fancy June ... |
第13話 | ウッキー夜話 |
第12話 | 『春のダイヤ人気番付』 |
第11話 | 2003年 南船場の秋 |
第10話 | 「白シャツ」と「白ダイヤ」にご注意。 |
第9話 | 初詣 |
第8話 | 秋 |
第7話 | 日本の色 |
第6話 | オリンピック随想 |
第5話 | お正月に想う |
第4話 | ブルーダイヤ、高価とは聞いておられるでしょうがどれほど高価なのか・・・ |
第3話 | 同じ赤でもピンクダイアとルビーではかなり色に違いがあります・・・ |
第2話 | 新しい「誕生ダイアモンド」なるものを設定・・・!! |
第1話 | 『fantasy』で『fantastic』な『fancy world』へ御案内。 |