◆ ベルギー カラーダイヤモンド買い付けレポート 2005年11月 Page: 1 2 3


祝20周年!!

2005年11月21日、午前6時、
Antwerp カールトンホテル、

ウッキーがこの地のダイヤモンド街に初登場してからちょうど20年なのだ!

ジャジャ〜ン!!


Antwerp

もう20年? まだ20年?
いろんな感慨がこみ上げてきて思わず涙が溢れそう・・・にはならないけども、
20年前のことは断片的に頭の中に画像が残っておりますねえ。
というところで、今回はこの祝20周年にちなんだレポートを。

1985年11月○△日(なかば頃だったな)、
緊張の面持ちで大阪・伊丹空港のBritish Airways(英国航空)チェックインカウンターに並んだのは午後の4時くらいだった。当時はダイレクトフライトがなくてね、まず成田着。夜の7時過ぎ暗い照明の中、小雨に濡れるジャンボジェットがやけにどす黒く見えたものでしたな。そこからアンカレッジを経由してロンドン・ヒースローに着いたのが現地時刻の午前5時ごろかな。さしもの大空港もほとんど寝ているような状態やったね。

3時間くらい待ってようやくAntwerpへ。
天気は良くなかったが、タッチダウン直前の空から見たアントワープの街並みは異国情緒タップリで、『おお、ついにここへ来てしもたんやな』とほんの少しだけ感動。
滑走路が短かすぎてプロペラ機しか発着できないホンマしょぼい国際空港・Antwerp空港、ビルの外は小雨と風で身を切るような寒気。吐く息の白さを今でもしっかりと覚えております。
この頃っていうのは結構売り手市場だったのだろうか、取り引き先から迎えなんて全然来なくてね、空港ビル脇の掘っ立て小屋みたいなところでタクシーの順番待ちをしておりました。30分ほど待ったかな、ようやく乗り込んで・・・、
というふうにスタートしたウキ氏のAntwerp買い付け20年でございます。

ここまで書いているうちに、現実の世界は世が明けて来た。外は濃い霧に覆われているヨーロッパならではの風景。

さて、
20年前ウッキーはここで何を買ったのか?
何故かあまり覚えていないのだけど、当然ながら初心者マークのお試し期間だ、ロクな買付けはしていないに違いないねえ。
それでもやはり一番最初のモノだけはハッキリと覚えております、
1.0 crt F VS1のラウンド。
この頃はカットの総合評価というシステムをまだどこの鑑定屋も導入していなかったから、それについての記憶はないが、現在ならGoodないしはVery Goodと判定されるようなほどほどのものだったに違いない。FカラーのVS1というグレードは付いていたわけではない、買付けの現場で見る商品は一部GIAやヨーロッパの権威・HRDグレーディングのもあるが、ほとんどがノーグレーディングである。自分でしっかり4Cを見定めねばならないのである。そしてもちろんこの商品も正式に輸入された後AGTに出した結果のものである。

初心者バイヤーというのは自分の目に確信が持てなくてね、見る環境が変わるからある程度は仕方のないところだけども、まあほとんとが所謂“ビビリ”というやつだ。初日の最初はルーペとピンセットを持つ手が震えてね、それがなかなか収まってくれない。ツールとともに買い付けも投げ出したくなるような気持ちに何度もなったものだ。

そんなわけで、
このダイヤ(1カラットのF, VS1)も最悪の場合、GカラーのVS2になるかもしれないとドキドキだった。
こういう心理状態でたくさん買えるわけないよね、自身のグレーディングが厳しくなる分どうしてもOfferが低めになる。低めのグレードに見て、ネゴにも自信がないからOfferはますます低めになる。商品を持ってきた奴ら、ブローカーからは時々『そんな値段であるのだったらオレが(私が)バケツ一杯分買ってあげる』なんて屈辱的な言葉を浴びせられてね。

そうそう、
20年前の当時はブローカーを介する買付けが一般的だった。
どういうことかと言うと、研磨しているか否かに関係なく、在庫を持っている業者は、ブローカーと呼ばれる商品の運び手にDiaを持たせてバイヤーが来ている事務所に売りに来たのである。
Antwerp

この売り方のメリットは、販売者としての業者はその存在を知られることなく多くのバイヤーに商品を見せる事ができるし、バイヤーも一つの事務所に居ながらにして多くのブローカーと会うことにより多種の商品を見て検討できるという点。
そして、値段交渉もブローカー経由で行われるからワンクッション置くことでバイヤーと業者が互いに好きな事を言い合っても気まずい関係にならないということ等等。
ウッキーがデビューした1985年あたりから1990年くらいまではこのブローカービジネスの全盛時であったね。

今は偉そうな顔して時にはAntwerpの取引業者に怒鳴り散らしているSも、このブローカーをやっていた時期があるのだ。もちろん彼にそんなことする必要性はなかったのだけれども、歩合で給料が貰えるブローカーの方が彼にとって実入りが良かったのが約20年前だったのである。えっ、と思うかもしれないが、日本のバブル期にブローカーやって、日本人バイヤーを相手にしていたらどのくらいの収入があったかと言うと、あくまでも推測であるが大きくは外れていないと思う、最も稼いだSクラスで月収約300万円、平均で約100万円くらいだろう。なんせ売り上げの1%が貰えるのである、商品がノーマルであれば多数のバイヤーを要領よく回ることで月に1億くらい売るのはわけなかったであろう。ちなみに、ウッキーがバブル期にサラリーマンやってた頃の月商が約2億(もちろん1人の数字ではないが)で、商品のほぼ100%を輸入に頼っていた。このくらいのダイヤモンド輸入商は全国になんぼでもあったし、最大手なんて月商30億くらいやっていたのである。

彼らブローカーに値段の決定権はない、バイヤーから指値をもらってそれを商品の持ち主(オーナー)に伝え、オーナーからの回答をバイヤーに伝える、
それのみである。商品をドサリとバイヤーのところへ運んだ後は、バイヤーがチェックするのを座して待つのみ。
何もしないで待つというのはシンドイだろうが、何て素晴らしい仕事なんだろうね。
まあしかしこんなボロイ仕事がそうそう長続きするはずはおまへんな。日本のバブル崩壊でブローカーを介する商売も激減、1990年代はアメリカ一極へとダイヤが集中することになり、Antwerpの業者はここにダイヤを置いておくよりもどんどんニューヨークに在庫を送って販売させることに主眼を置くことになる。当然ながらAntwerpのブローカーたちが持って歩ける商品は少なくなるから、我々日本人バイヤーは、オーナーのところへ直接出かけてニューヨークへ送る前の商品を買うということになり、ブローカーの実入りはますます少なくなるという悪循環。20年前にバリバリやってたブローカー諸氏のほとんどは高齢化ということもあるが、最近ではほとんど見なくなったねえ。

現在ももちろんブローカーは存在するし、旧来タイプの者もいるし、アントワープのダイヤモンドビジネスをある面支えているのは間違いのないところ。しかしその形態がかなり変化しているのではないかなと思う。全くの運び屋からセールスマン的な性格を持ったものに。そして売り方もきめ細かく。
いずれにしてもこの商いの形態、Antwerpが存在する限り残るだろう、我々バイヤーも商品と値段だけで買っているのではない、ブローカーと冗談言い合ったり、プライベートな話をしながら商品を見ているケースも多いし、オーナーの渋面見たくない時もあり、ネゴが多少かったるいけれどもブローカーを間に置いた方が気楽な面も多いからね。

最近はウッキーもブローカーから買うケースは少ないのだが、商談成立の時、彼らと“マザール”と言い合って握手する瞬間に喜びを感じる古〜いタイプのひとりなのであ〜る。

ところでそのウキ氏の最初のマザール、一体ナンボ?
しっかりと覚えておりますよー、1.0crt F VS1 Good(Very Good)、

$2,200じゃーー!

えええっ、
安いねえ、
ウッキーは昔からそんなにネゴが上手かった?
・ ・ ・ はずはおまへんな、
しかしまあホンマかいな、ちゅう値段やね、今じゃ$2,200ではSI2も買えまヘンでえ。

Antwerp
当時の為替レートは確か1ドルが200円を超えておりましたぞ、ホンマかいなと思うかもしれんがのう、あれは急激な円高の前ぶれじゃった、遠い遠い昔のことじゃった、忘れたーーーーーー、
―――なんで急に昔話になるねん!
えーーとですな、
1984年には1ドル270円というような時期もあり、ドルの独歩高というのが当時の西側諸国の大きな悩みであったのだ、そうです西側諸国ね、米ソ2極の状態から徐々にアメリカ有利へと傾いて行く時代、レーガンがアメリカの大統領になって強いアメリカを再建して行く中、逆にソ連の力がどんどん弱まって行ったわけで、嫌が応にもドル買いが強まったというわけですな。ところが、あまりにも強いドルは自国の輸出産業を殺してしまう、というわけでアメリカ財務省は先進国蔵相会議で各国へドル安政策を採るよう迫り、合意を得たんです。
この会議が行われたのがNewYorkのプラザホテルであったことから、これをプラザ合意と呼んでおりますね。
このプラザ合意には日本からは竹下蔵相が参加しておりましてね、中曽根内閣の折りですな、1985年の9月やね、竹下の顔が$のマークに見えると皆さん騒いでおりましたね。

というところで、プラザ合意から2ヵ月後のこと、
1986年には強烈な円高になるのだけれども、この時にはまだ200円を少し超えていたね。
20年で少しは値上がりしているが、そうそう円価では違いがなさそうだ。
それに比べてドル建て価格で考えると凄い値上がり。20年で約2倍かな、Unbelievable !!!

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2005.04 ルフトハンザで出国
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2004.11 ベルギーの初冬
2004.9 上手なブラフの使い方?
2004.8 2004アジアカップ
2004.4 ゴールデンウィーク に オランダ を想う・・・。
2003.11 Believe me!
2003.7 Vacances!
2003.5 日本とベルギーの規範
2003.3 ベルギー名物と言えば
2002.9 空港のネーミングについて
2002.5 ワールドカップ
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