◆ ベルギー カラーダイヤモンド買い付けレポート 2004年11月 Page: 1 2 3 4


答えは“娼婦と宝石屋”。

約3,000年前の中国の歴史に登場する『完璧』という言葉。『璧』とは、環形に磨き上げられた上質の宝石のこと。
いろいろある故事成語の中で、ダントツにポピュラーな言葉やな。
元来は、価値あるものをしっかり無事に元に戻す、という意味であるけども、既にそのころの中国ではジュエリービジネスが成熟していたことが窺い知れるねえ。西方、中東や地中海地方との交易も盛んだったという資料もあるから、『 璧 』 類も東へ行ったり西へ行ったりとしていたことだろうね。

けれども、ダイヤモンドビジネスの organize と本格的発展となると、かなり後の時代となる。
大航海時代を待たないといけない。

1492年にスペイン中部、トレドで起こったユダヤ人虐殺と迫害、これによってスペインを本拠としていた多数のユダヤ人がベルギー、オランダに移住。彼らは船便が常に使えるアントワープとアムステルダムを次の本拠と定めた。この辺り、アントワープを含む北部ベルギーとオランダ地方はネーデルランドと呼ばれるスペイン領だったが、スペイン本国に住むよりもユダヤ人たちは安全だったのだろうね。
もともと金融や宝飾を生業としていたユダヤ人たちが立ち去って、スペイン本国は衰退へと向かう。そりゃそうやな、ドンパチばっかり強くてもゼニ勘定出鱈目、モノの価値の判らぬ馬鹿集団、左前になるのは時間の問題。
そんなバカどもが頼りにしたのはやっぱりユダヤ人、本国を去ってしまったにも関わらず、大航海でインドなどから持ち帰った多量のダイヤモンド原石をネーデルランド地方に住む彼らのところへと運び込み、研磨&値踏みさせた。
ここに Antwerp と Amsterdam の発展が約束されたというわけですなあ。
これら2つの市場は良きライバルとして第二次大戦前まで続くことになる。

そして、悲惨な出来事、ナチス・ドイツによるユダヤ人狩りの勃発。
ドイツ軍によってベルギー、オランダは蹂躙され、ユダヤ人は多数が収容所送りとなって虐殺されるが、幸運なことにベルギーのユダヤ人たちは大半がイギリスへと逃れることが出来たそうである。

余談だが、S の父親もアントワープで生まれ育ち、運良く逃れることが出来たひとり。その後、S パパは英国陸軍に入隊、大尉まで昇進、ある英国女性と恋に陥る。のちの S ママでありますなあ。

ベルギーのユダヤ人に比べて全く不運だったオランダのユダヤ人たち、「アンネの日記」も舞台は確かアムステルダムだったな、かなり眉唾物の日記であるけれども・・・、いやホンマ、またまた余談だが、アンネは実在の不幸な少女だが、あの日記はアンネが書いたのではないとの説が有力だ。鵜呑みにして涙流したら何時かシラけることになる、まあ、それはいいとして・・・、
平和が訪れても元の地に戻って来れた人は少なかった。戦争終結とともに再開されたダイヤのビジネスであったが、もはやアムステルダムのダイヤモンド街に昔の輝きは戻らなかった、細々と何社かは原石買って研磨を続けていたそうだが、1970年代初頭にはほとんどクローズ状態となり、ヨーロッパのダイヤモンド事業はAntwerpがその屋台骨を一身に背負うことになったというわけ。

しかしながら、以上は正史の方、表の歴史だ。

どんな歴史にも表裏両方ある。
以下はユダヤ人が語りたがらない裏のお話。

ナチス・ドイツのホロコーストから運良く逃れたユダヤ人が大戦後に商売を再開したところまでは同じだ。
アムステルダムのユダヤ人たちも数は減ったが決してアントワープにひけをとったわけではなかった。古いガイドブックに載っているほどだから絶対にアムステルダムの方が有名だったに違いないと思う。ところが、しばらくして転機が訪れる。それまで何のかのと理由を付けて税金を払ってこなかったユダヤ人達に対し、ついにオランダ政府は最後通牒を突きつける、
“ Pay tax !”

このひと言がアムステルダムのダイヤモンド市場の運命を決定した。
ダイヤモンド街を形成していたユダヤ人がこぞってAntwerpに逃避!
なんちゅう奴らじゃ、
考えられんことするねえ、
流浪の民、ユダヤ人ならではの生き方と言うべきか。

しかし、しかし、しかし、
と言うことは・・・・・・
Antwerpのユダヤ人たちは今でもNo Tax !?

堪らんのう、
銭はよう貯まるやろなあ、
ホンマたまらん!

・ ・・・・

 

ますます困難を極めるカラーダイヤ市場である。
とにかく少ないピンクとブルー。
減産に次ぐ減産であるオーストラリアの Argyle 鉱山の動向が気になるところだが、Antwerp カラーダイヤの大御所・L氏は、以前から言っているように、2006年には新しい供給は完全になくなるとみて、ハイグレードなピンクダイヤを全く見せてくれなくなった。この傾向は最初のころからあって、裾野の方からミドルレンジまでは豊富であるのに、その上となると極端に量が少ないL氏の在庫に不自然さを感じていたのであるが、扱う原石がそのようなタイプなのだろうと勝手に善意の解釈をしていたら大きな間違いだったというわけ。
今回に至って初めてL氏の口から衝撃の告白である。
「 ハイクラスは当然ながら、色性質(いろたち)の良いそこそこクラスのものも売らないで金庫の中で熟成させてある。」
それらを何年か後に売り出せば超希少価値だ、大儲けを目論んでいるというわけだ。

L 氏の論理の拠りどころとなっているのは、Argyle 鉱山の生産状況。
彼によると、Argyle 産ダイヤ原石の平均元卸価格は1カラットあたり $10 ということである。えー、という声を上げそうになるけども、それもそのはず、ここは以前から 90% 以上の原石が宝飾用ではなくて工業用、そして、宝飾用も大半はブラウン系なのである。
L氏は続ける、
「 Argyle を保有する Rio Tinto (リオ・ティント)社は近いうち必ず Argyle から撤退する。それは、より多くの資金をカナダの鉱山に投資したいと考えているからだ。カナダの鉱山ほど有望なものは他にない。なんせ、北部カナダの原野を掘れば至る所からダイヤがガサゴソと出て来る」

ホンマかいな。
これはえらいこっちゃな、
いや、ええこと聞いた!
既に今なんかは雪と氷に閉ざされ、年間の半分以上は The day after tomorrow 状態のカナダ北部。5月頃の雪解けを待って我々も採掘に参加しないといけない。“ COSMIC Fancy Membersご一行様 ” というツアーをJTBに頼んで仕立ててもらおう。
時期は、より多くの人に参加してもらうため、ゴールデンウイークの頃が良いだろう。
参加資格は当然メンバーとその家族限定。
費用は1人100万円。
ちょっと高すぎやしないか、って?
何のこれしき、
1人当たりダイヤの原石1キロまでは無料でお持ち帰り自由の特典つきだ。
1キロを超えると、100gにつき10万円の超過料金を払ってもらうが、これでも凄い資産となるだろう。
カナダ・バンクーバーまではハイテク最新のボーイング777、チャーター機の直行便。少し足を延ばしてシアトルでマリナーズのゲーム観戦というオプションまである。



年明け早々に募集を始めます。
定員は200名。
どうか早めにご予約を!

ひとつ言い忘れていたことがあった。
これは小さな字で書いとかないといけない。
‘ カナダではカラーダイヤは産出しません。’



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◆ Back Number ◆
2005.07 Cut & Polished in Belgium
2005.04 ルフトハンザで出国
2005.02 オリーブの漬物
2004.11 ベルギーの初冬
2004.9 上手なブラフの使い方?
2004.8 2004アジアカップ
2004.4 ゴールデンウィーク に オランダ を想う・・・。
2003.11 Believe me!
2003.7 Vacances!
2003.5 日本とベルギーの規範
2003.3 ベルギー名物と言えば
2002.9 空港のネーミングについて
2002.5 ワールドカップ
2002.3 ひな祭り
2002.2 ユーロとトラブル
2001.12 プリンセス雑感
2001.11 ニューヨークの思い出
2001.9 不景気とは
2001.7 女子テニスプレーヤーというのは宝石だらけで戦っている・・・。
2000.4 ファンシーカットの好みは各国でかなり違うようだ・・・。
2000.2 天然の物が相手になるがゆえのつらさ、というのが常にある。
1999.12 私はダイアモンド業界ではゴルフの世界の尾崎みたいなものだ、といって自己紹介することにしている・・・